第17回 ベートーヴェンの遺書

2016年3月、某旅行会社企画のウイーン楽友協会で開催された第九演奏会で歌う機会が有り、初めてウイーンを訪れた。演奏会後の観光で、ウイーン郊外(北へ5kmほど)のハイリゲンシュタットに有る「ベートーヴェン遺書の家」を見学 […]

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第16回 歓喜の歌(An die Freude)

シラーはフランス革命の4年前、1785年26歳の時友人の依頼により“自由賛歌”(Án die Freiheit)を書きあげた。封建的な政治形態と専制主義的な君主制に苦労してきただけに、ここで人類愛と何百万人の人たちにの団 […]

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第15回 「第九交響曲」の構成

苦悩の限りに苛まれたベートーヴェン人生の集大成であり、全人類に向けた異形の大交響曲・・・ 聴覚を完全に失い、一度は絶望に打ちひしがれた者が自らの残された全魂を奮い立たせ、終楽章では30有余年自ら思い描いてきたシラーの詩を […]

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第14回 「第九」と年末

「第九」と年末 なぜ日本人は年末になるとこんなにも第九を演奏したがるのか?ということはしばしば語られる。それもやや批判的あるいは嘲笑的な意を含んで。 たしかに、今日日本では毎年11月下旬から12月末にかけて全国各地でアマ […]

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第13回 ベートーヴェンは鉛中毒だったのか?

ベートーヴェンが1827年3月26日に永遠の眠りに就いた際、盟友のフンメルが連れてきた15歳の弟子のフェルディナンド・ヒラーは、許可を得て偉大な作曲家の髪の一房を切り取った。そしてこのヒラーこそが、親子3代に亘って2度の […]

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第12回 ベートーヴェンの言葉

『Das Schöne Zum Guten ~善に向かう美』 ベートーヴェンが後年サインを求められた時に、しばしば記したものです。後年と言えば・・・長い期間構想を持ちながらもベートーヴェンが「第九」の作曲に実質着手したの […]

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第11回 ベートーヴェンが愛した女性達と手紙

音楽家としては疑いもなく最高峰の人であるが、一方、ひとりの人間として「ベートーヴェン」を見てみると、とても興味深いものがある。彼は、頭が大きく色黒で、鼻も低く背の低い男で決してハンサムとは言いがたく、おまけに癇癪持ちで変 […]

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第10回 大作曲家ベートーヴェンの時代に楽器としてのピアノも急速に進歩した

我々が取り組む第九を始め、素晴らしい交響曲を書き残したベートーヴェンですが、彼のピアノ作品(とくにソナタ)は、そのままピアノの歴史と言っても過言ではありません。作曲家が求める音楽にピアノ製作者も意欲をかきたてられ、そうし […]

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第9回 天使の階級

「第九」の歌詞の中に「Cherub」という言葉が出てきます。「虫けらにも快楽が与えられ、天使ケルビムは神の御前に立つ」の「天使ケルビム」です。天使って「エンジェル」じゃないの? 一般的にわれわれ日本人にとって天使はあまり […]

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第8回 日本で初めて「第九」が演奏された場所 板東俘虜収容所

第一次世界大戦の時、日本軍は中国の青島(チンタオ)でドイツ軍と戦い、これに勝ちました。敵兵約4700人を日本国内に連れ帰り、戦時捕虜として収容することになりました。この人々を収容するための施設、俘虜(ふりょ)収容所が大急 […]

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