第12回 ベートーヴェンの言葉

『Das Schöne Zum Guten ~善に向かう美』

ベートーヴェンが後年サインを求められた時に、しばしば記したものです。
後年と言えば・・・長い期間構想を持ちながらもベートーヴェンが「第九」の作曲に実質着手したのは1817年47才、途中挫折中断を経て1824年5月7日ウィーン・ケルトナートーア劇場に於いて初演されている。
「第九」を歌い始めて年々ベートーヴェンの言葉が気になる様になりました。古い時代から存在する「真・善・美」の語句、ベートーヴェンにとって『善に向かう美』とは・・・この短い一文にはベートーヴェンが生きる上にも作曲の上においても求めていた自然簡潔そして力強く喜びにあふれた人々の「協調」「平和」「理想」のイメージも浮かんできます。
それは「交響曲第九番」そのものとも私には感じられます。シラーの頌歌「歓喜に寄せて」の後半2/3をためらいもなく削り、大胆にも冒頭に加えたベートーヴェン自身による主張「おお友よ このような調べではない もっと快いもっと歓喜に満ちた歌を共に歌おうではないか!」
耳を澄ませなくともベートーヴェンが確信を持って伝えたかった彼の肉をもった”声”として聴こえてきます。そして、その言葉はすべての人々が理屈抜きに感受できる全肯定とも言える四楽章の「歓喜に寄せて」を導く。

『私達の愛は犠牲なくしてはお互いにすべてを求める事は続き得ないのでしょうか。
あなたは全く私のものではなく私は全くあなたのものではないという事をあなたは変える事ができるでしょうか。
ああ神よ、自然の眺めよ、どうにもならぬ事に対してはあなたの気持ちを鎮めて下さい。
愛はすべてを求めます。しかも正しさをもって。
あなたにとっての私、私にとってのあなたにおいても同様です。』

不滅の恋人に宛てられたといわれる恋文です。

『おお希望よ 汝によって高められ耐え忍ぶ者に感じさせよ 天上において天使が彼の涙を数えている』

ベートーヴェンの歌曲「希望に寄せて」の一部です。「彼」とはきっと本人なんでしょう・・・ね?

ベートーヴェンの作品に加えてこれらの文、詩は彼自身の内面世界の吐露です。
熱烈な恋愛の一方、失恋の悩みも痛手も深く、その上難聴など身体上の苛酷な苦しみを抱えながら封建制度、革命による混乱という厳しい時代の中をベートーヴェンは自身の精神的世界をあますことなく一生を音楽に照射し続けました。
強い”心”を持ち、生き抜いた人物であったのだと思います。
1827年3月26日満56才 ウィーンにて死去

『諸君 喝采を 喜劇の終わりだ』

最期の言葉だそうです。