第7回 「ブライトコプフ新版」って?(後編 ベーレンライター版との違い)
それぞれの版は全曲のいろいろな箇所、いろいろなパートにおいて多くの差異があります。その差異を解説するだけでひとつの書物ができあがるほどです。ここでは第4楽章に限って、目立って大きないくつかの差異についてごく簡単にご紹介しましょう。
① 第4楽章冒頭のメトロノーム記号
まずは曲の印象を決定づける、冒頭部分のテンポに関してその指示が版によって異なっています。
従来版では =96と記載されていますが、ベーレンライター版およびブライトコプフ新版では =66となっています。この差は大きいですね。1分間に96拍と66拍では、1.5:1.0 ほどのテンポの違いがあります。この問題については、今日では =66が正解だろう、ということで決着はついています。ベートーヴェンの甥のカールが、ベートーヴェン本人から聞いたテンポの指示を書きとめたメモや、最初の出版社であるショット社に送った手紙などにも 66 と書かれているのが確認されているそうですし、何より音楽的に考えても96というテンポは不自然です。現に、さまざまなCDを聴き比べても、大多数の指揮者がちょうど66ぐらいのテンポを採用しています。比較的テンポが速いアバド指揮ベルリンフィルハーモニーの演奏でも72ぐらいです。
ではなぜこのような間違いが起こったのか、というと、「第九」を初めて出版したショット社の楽譜の第4楽章冒頭部分がちょうど96ページ目にあたったため、と言われています。えっ? そんな理由?
それにしても、今日販売されている従来版のオーケストラスコアでも、日本で販売されているカワイ出版の合唱譜でも =96と書かれたままです。もはやこの部分は皆さん「見て見ぬふり」をしているようです。
② 第4楽章 Alla Marcia 直前(330小節)のオーケストラのダイナミクス
合唱が「vor Gott !」とでフェルマータがかかっている、あの印象的な場面です。
合唱はのままフェルマータなのではっきりしていますが、オーケストラのダイナミクス(強弱)が、版によって指示がさまざまに異なっています。
・従来版…オーケストラは基本的にだが、中でティンパニだけがと消えていく
・ベーレンライター版…すべての楽器(ティンパにを含め)がで鳴らし続ける
・ブライトコプフ新版…合唱だけを残して、すべてのオーケストラのパートがと消えていく
「すべてがで鳴り続ける」というベーレンライター版が一番ありそうなダイナミクスではあり、現にベートーヴェンの自筆スコアでもそうなっているようです。ところが、ベートーヴェン自身が指揮をした初演時のスコアには、いくつかのパートにベートーヴェン自身の手でが書き加えられていたり、のちにプロイセン王ウィルヘルムⅢ世に献呈した楽譜にも合唱を除く全パートにが書かれていることから、ベートーヴェンの真意がどこにあったのか、非常にわかりにくくなっています。
一説には、初演のスコアにが書き込まれているのは、初演時に合唱の人数が少なかったため、オケがで演奏を続けると合唱の声がかき消されてしまうから暫定的な措置として書き込んだのだろう、とも言われています。しかし、実際に聞いてみるとたしかに合唱がで「vor Gott !」を延ばす中、オーケストラは消えていき合唱だけが残る、という演出はドラマティックで、鳥肌ものではあります。また、直後のAlla Marcia がファゴットとコントラファゴットので始まることを考えると、このパートへの導入としてオケをいったん鎮静化させる、というアイデアも自然な流れかも知れません。2015年フロイデの「第九」も、岩村マエストロはブライトコプフ新版を使われるわけですから、この「オケが徐々に消えて合唱だけが残る」という解釈が採用されるかもわかりません。皆さん、聴きどころですよ!
いずれにしても、従来版の「オケがで鳴っているのにティンパニ『だけ』がと消えていく」というのは、個人的には違和感を感じます。
③ 第4楽章 Alla Marcia(331小節目)のメトロノーム記号
次は上記の部分から続く、Alla Marcia のテンポに関してです。
Alla Marcia は「行進曲風に」。行進曲のテンポと言えは1分間に120拍、というのが標準です。ところが、ベートーヴェンの自筆楽譜にはとくに明確なメトロノーム記号の表示はなく、初演2年後に甥のカールがベートーヴェンとの会話を書きとったメモの中に「84 6/8」という数字の記載があるだけです。(6/8 は8分の6拍子の意味) これを普通に読み取れば1拍すなわち=84と解釈できます。しかしこれは「行進曲風に」というにはあまりに遅いテンポで疑問が残ります。そこで、版によって解釈が異なりました。
・従来版…カールのメモを普通に解釈して=84 と記載。
・ベーレンライター版…「=84では遅すぎる。1小節が84だろう。」と解釈して、=84と変更。これは=84の倍のテンポであり、=168を意味します。
・ブライトコプフ新版…オーケストラスコアには=84 と従来版と同じ記載がありますが、わざわざスコア序文で「非常に遅い指示であり、実用には適さない。これは、難聴のベートーヴェンと、甥のカールとのコミュニケーションの問題だった。」と記載され、事実上、記載しているメトロノーム記号が無効であることを認めています。
それにしても、=84 が遅すぎて実用的ではないのと同様、=84(すなわち=168)では、行進曲というには速すぎるようにも思います。結局、この部分のテンポは指揮者の判断に任されているようで、一般的な演奏では常識的に120あたりのテンポにすることが多いようです。
CDを聴き比べる限りでは、「原典に忠実に」をモットーとするガーディナー指揮ORRの演奏やジンマン指揮チューリヒ・トーンハレの演奏が160前後、また逆に、ピリオド楽器(古楽器)で演奏するノリントン指揮ロンドン・クラシカル・プレイヤーズやホグウッド指揮エンシェント室内管弦楽団などは84あたりで演奏しています。
④ 第4楽章 Andante maestoso(594小節目)の強弱記号やアクセントの形
爆発的な「歓喜の歌」の大合唱のあと、一転して荘重な男声合唱の「抱き合え、諸人よ!」で始まるあの部分は、オケパート、合唱パートを含めて細かい音楽記号が版によって相違があります。
「umschlungen」と「Milionen」の語間のコンマの有無
・従来版…あり
・ベーレンライター版…なし
・ブライトコプフ新版…あり
「Milionen」の語に対する強弱記号
「Kuss」の語に対するスタッカートの有無
・従来版…なし
・ベーレンライター版…あり
・ブライトコプフ新版…あり
スタッカートの種類
・従来版…点(今日の一般的なスタッカート記号と同じ)
・ベーレンライター版…くさび型
・ブライトコプフ版…縦棒型
スタッカートの種類に関しては、この部分に限ったことではなく、それぞれの版で上記の形の記号(版ごとに統一)を採用しています。ベートーヴェン本人は少なくとも点のスタッカートとくさび型のスタッカートを区別して認識していたような記述はあるようですが、自筆の楽譜をいくら見ても、それが点なのかくさび型なのか縦棒なのか、はっきりとはわかりません。ちなみに、定義としては点のスタッカートはその音符の半分の短さにして演奏するのに対して、くさび型のスタッカートはさらに短く4分の1の短さで演奏する、という意味だそうです。
上記の他にも、324小節のアルトパートの2拍早く出る「steht」に対して、 従来版は何も強弱記号の指定はありませんが、ブライトコプフ新版ではが書かれている、また同じくアルトの677小節はタイの付け方、言葉(Hei-lig)の譜割りが違うなどなど、細かい点で違いがあります。
⑤ 第4楽章 Allegro ma non tanto 767~770、777~780小節目の各ソリストの歌詞
フィナーレに向かう前の快速部分の冒頭、ソリストの四重唱で歌われる歌詞が、版によって微妙に違います。
767~768小節(男声) | 769~770小節(女声) | 777~778小節(女声) | 779~780小節(男声) | |
自筆譜 | Tochter, Tochter aus | Freude, Tochter aus | Tochter, Tochter aus | Tochter, Tochter aus |
従来版 | Freude, Tochter aus | Freude, Tochter aus | Freude, Tochter aus | Freude, Tochter aus |
ベーレンライター版 | Tochter, Tochter aus | Freude, Tochter aus | Tochter, Tochter aus | Tochter, Tochter aus |
ブライトコプフ新版 | Freude, Tochter aus | Freude, Tochter aus | Tochter, Tochter aus | Tochter, Tochter aus |
ここの歌詞は、元のシラーの詩からベートーヴェンが歌詞の一部を切り取ってつなげた、いわば改編部分です。そして自筆譜では確かに2回目の女声二重唱のみがFreudeと書かれていてあとはすべてTochterで始まるのですが、なぜか従来版では4回すべてがFreudeで始まっており、それが演奏においても録音においても長い間にすっかり定着してしまっているようです。しかし第4楽章もここまで進行してきて、ここに至ったときにベートーヴェンがTochterという言葉に非常なこだわりを見せているのも、何となく納得感がありますし、4回全部をFreude, Tochterと同型の繰り返しにするよりも、よりベートーヴェンらしい粘着性を感じることができます。
さて、ここまで版による代表的な相違点をいくつかご紹介してきましたが、実際の演奏の現場ではこれらを踏まえた上で指揮者がそれぞれの解釈を加え、自分にしかない音楽を創っていくわけですから、同じ版を使っていても生み出される音楽は当然ながら違います。また違わなければ音楽をやる意味はない、と言ってもいいでしょう。しかしそうではあっても、やはり「ベートーヴェンが何を考え、どういう音楽を目指していたのか?」を常に考えることは演奏者にとっても鑑賞者にとってもとても大事なことだと思いますし、より深く第九を味わうために必要な知識ではないかと思います。
参考文献:
「こだわり派のための名曲徹底分析 ベートーヴェンの<第9>」(金子建志)
「<第九>虎の巻」(曽我大介)
WEBサイト「ベートーベン《第9交響曲》のベーレンライター・ブライトコプフ「新版」楽譜に関する覚書」 ほか