第6回 「ブライトコプフ新版」って?(前編 なぜこんなに多くの「第九」が)

2015年の浜松フロイデ合唱団は、岩村力マエストロ、東京シティ・フィルとともに「ブライトコプフ新版」の楽譜を使って第九の演奏を行ないます。はて? 「ブライトコプフ新版」ってなんでしょう?

「第九」の楽譜は、歴史的に多くの出版社が出版していますが、今日使われているメジャーな楽譜は以下の3種類です。

  1. 1864年に、ドイツのブライトコプフ&ヘルテル社(Breitkopf & Härtel)から出版された楽譜(および1930 / 1964年に出版された同社の改訂版)を底本とした楽譜で、「ブライトコプフ旧版」とか「従来版」と呼ばれる
  2. 1996年に、ドイツのベーレンライター社(Bärenreiter-Verlag)から出版された、ベートーヴェン時代の原資料の研究により見直しされた楽譜で、「ベーレンライター版」と呼ばれる
  3. 2005年に、ブライトコプフ社から出版された、ベーレンライター版と同様、新しい研究により見直された楽譜で、「ブライトコプフ新版」と呼ばれる

この稿では、2回にわたってこれら「第九」の版の問題について簡単に解説します。第1回目は、それぞれの版が出来上がった経緯を簡単にご紹介しましょう。

なぜこんなに多くの「第九」が?

そもそも、ひとつの「第九」になぜこんなに多くの種類の楽譜が存在するのでしょうか? ベートーヴェンが悪筆だったこと、信頼していた浄書職人(楽譜を清書する専門家)が急死してしまったこと、出版までに時間がなかったこと、出版後も作曲家本人による書き直しが行なわれていることなどなど、さまざまな偶然や特殊な事情が重なり、残された楽譜の断片の中に多くの矛盾した内容が記載されていたことがその原因と言われています。初演(1824年)から40年後(ベートーヴェン死後37年)の1864年に、それらの矛盾を整理してドイツのブライトコプフ社が出版したのが、今日「従来版」と言われる楽譜の元になったものです。途中、小幅な改訂はあったものの、20世紀の終わりにベーレンライター社が新しい版を出すまでは、約130年間にわたってこのブライトコプフ版が第九の決定版的楽譜として君臨してきたのでした。
ところが最近の研究によって、このブライトコプフ版にはところどころおそらくベートーヴェン本人の考えではないことまで盛り込まれていたことが分かってきました。ブライトコプフ版を出版する前に校訂にあたった人が、部分的に自分の価値観や解釈によって楽譜をオリジナルとは違う形に仕上げてしまった、ということなのでしょう。

イギリスの音楽学者で指揮者でもあるジョナサン・デル・マーが、ベートーヴェンの自筆楽譜や書簡などさまざまな原資料を詳細に研究し、上記のような従来版の問題点を修正して1996年にベーレンライター社から出版したのが「ベーレンライター版」です。この楽譜には、第1楽章から第4楽章までの全曲にわたり、さまざまな箇所において従来広く知られていた「第九」の印象を覆すほどのインパクトある改訂が含まれており、出版当初「ベートーヴェンが意図した第九はこんなだったのか!?」と話題になりました。一時期、世界の音楽界では「この第九演奏会ではベーレンライター版を使用します」というのがコンサートの売り文句になるほどでした。
賛否両論、さまざまな意味でベーレンライター版が注目される中、本家のブライトコプフ社もビジネス上の焦りを感じたのか、9年後の2005年に出版したのが「ブライトコプフ新版」です。ペーター・ハウシルトという人が、デル・マーと同じく原資料を研究して導き出した結論が盛り込まれていますが、尊重する資料の優先順位や考え方が随所でデル・マーとは異なっているために、従来版ともベーレンライター版ともまた違った、第三の「第九」が登場したのです。
次回は、3つの版の楽譜上の指示がどのように違っているか、を第4楽章の主だった部分についてご紹介します。

参考文献:
「こだわり派のための名曲徹底分析 ベートーヴェンの<第9>」(金子建志)
「<第九>虎の巻」(曽我大介)
WEBサイト「ベートーベン《第9交響曲》のベーレンライター・ブライトコプフ「新版」楽譜に関する覚書」  ほか