「シャープさん・フラットさん」最近の記事
第九、ベートーヴェン、音楽にまつわる様々な話題を、1ヶ月に1回程度更新します。
〜名古屋フィルハーモニー交響楽団第385回定期演奏会〜
2011年11月19日(土)/愛知県芸術劇場コンサートホール
(1)ムソルグスキー(ショスタコーヴィチ編曲)
/歌劇「ホヴァンシチーナ」前奏曲(モスクワ河の夜明け)
(2)ショスタコーヴィチ
/ヴァイオリン協奏曲第1番イ短調Op.77
(3)バッハ
/無伴奏ヴァイオリンのためのソナタ第1番ト短調BWV.1001より
第1楽章"アダージョ"(*アンコール)
(4)コダーイ
/組曲「ハーリ・ヤーノシュ」Op.35a
(5)バルトーク
/バレエ音楽「中国の不思議な役人」(不思議なマンダリン)Op.19組曲
ヴァイオリン:アリーナ・イブラギモヴァ(2)(3)
ツィンバロン:崎村潤子(4)
指揮:ゴロー・ベルク
管弦楽:名古屋フィルハーモニー交響楽団
圧巻は、何んと言ってもイブラギモヴァのショスタコーヴィチでした。
正直、この曲の印象だけが総てで、他の曲の印象ははとんど残っていません
1曲目の"モスクワ河の夜明け"は好きな曲です。
普段はムラヴィンスキーの指揮するレニングラードフィルで馴染んでいるのですが・・・ゴロー・ベルクさんの大きな弧を描く(自然、空気のうねりを読む)指揮が素晴らしいと思いました。
息の永いメロディラインを的確に掴んでの情景描写が良かったのです。
そして、待ってましたイブラギモヴァ嬢のショスタコーヴィチ。
胸わくわくさせての舞台袖凝視・・・登場した途端に私の目と心が彼女に釘付けでした!!
スラッとしたスタイルと黒のドレスが眩い!!
彼女のステージマナーは燐として、聴衆に媚を売る姿は皆無なのです。
でも、そんな中でのちょっとした笑顔がチャーミングこの上ない!!
さて、演奏が始まりました。
第1楽章は"ノクターン"と題されているのですが、ショパンの様な甘美さは感じられません。
暗い陰鬱な哀感を湛えた心の奥底の悲痛な思いが静かに奏でられるのです。
彼女の弾くヴァイオリンは、ストラディバリと違って、グァルネリ特有の適度な硬さが特徴です。
つまり、芳醇なる音の広がりには欠けるものの、演奏者の技術がしっかりして、音の芯にブレがなければ一本の筋が通る訳なのです。
彼女の音も太くはないけれど、決して痩せることのなく、その弱音の極みまでも会場に響かせていたのです。
ソット・ヴォーチェで謡うヴァイオリン・・・素晴らしかった!!
第2楽章"スケルツォ"は民族舞曲風のリズムと躍動感が見事な音楽となっています。
彼女は、いつになく(?)その音楽にのめり込んで行くのでした。
こんな彼女の側面が・・・嬉しかった!!
髪振り乱し、まるで何かに獲り付かれたかの形相・・・指揮者やオケに対して「私はこうやるの!!」と、かなりの挑戦的な風情を感じたのです。
さすがに、民族の血が騒いだのかな・・・!!
指揮もオケも、俄然ヒートアップして行くのがリアルでした。
第3楽章は"パッサカリア"。
厳格な雰囲気の変奏曲が展開されます。
コラール的な祈りの音楽でもあるのです。
彼女はここで、深い情感を込めて祈ります。
ここも素晴らしい!!
そして・・・それも叙々に高揚しながらの、終楽章前の長いカデンツァが凄まじかった・・・これぞ、彼女の独壇場!!
第4楽章"フィナーレ"の大団円は、言葉もないほどのスリル感!!
これぞ、圧倒的!!!と言わずして、何んと言えばいいのだ!!!
心の底から"BRAVO!!!"と叫んでいました(決して、フライングはしていませんよ)。
そして彼女は、鳴り止まぬ拍手に応えて(嬉しそうに)、アンコールを奏で始めたのです。
バッハでした。
ショスタコーヴィチの時とは打って変わって、ノン・ヴィブラートによる祈り(まさに祈り)を、私たちに語りかけてきたのです。
今回のそれは(CDでの雰囲気とも違って)、自己の内面に厳しく凝縮させての雰囲気ではなく(もちろん、そういう要素もあったのだけれど)、静かに穏やかに外にも放射させていたのです。
後半1曲目のコダーイ「ハーリ・ヤーノシュ」は、正直面白く聴けなかったです。
この曲は、もっと面白いはずなのに、あまりにも生真面目に演奏し過ぎていた感じでした。
単なる好みではあるけれど・・・リズムとかテンポとか、もっとハッタリを効かすというのか、民族的なリズムを強調しないと活きない曲だと、あらためて思いました。
メインのバルトーク「中国の不思議な役人」は、さすがメイン曲であり、存分に楽しめました。
この曲は今までにも浜松混声で何回が歌ったことがあります。ピアノかオルガンの伴奏でした。しかし今回は浜松フィルのオーケストラと一緒に歌うことが出来るのです。
私にとって夢のような喜びです。
アヴェ・ヴェルム・コルプスはモーツアルトのほとんど死の直前に作曲された。即ち1791年6月に作曲されたが、その半年後の12月に彼は世を去る。
この経緯を少し詳しく見ると、翌月に産み月を迎えた彼の妻コンスタンツェはバーデンに保養に出かけた。その時付き添ったのが、モーツアルトの死によって未完成のまま残されたレクイエムを、あとで補作して後世に残る名曲に仕上げた弟子のジェスマイヤーだった。コンスタンツェにとってはそれまでに5人の子供を出産していたが1人しか生き残っていなかった。だからモーツアルト夫妻にとって出産は大変な不安でもあった。モーツアルトはこの時期、歌劇「魔笛」と「レクイエム」の注文を受けて多忙であったが、ウィーンとバーデンを往復しながらもアヴェ・ヴェルム・コルプスを書き上げ、これを当地で妻の面倒をよく見てくれていた友人の合唱指揮者シュトルに、感謝の気持ちを込めて進呈した。
アヴェ・ヴェルム・コルプスはカトリック教会の典礼に用いられる聖体聖歌である。即ちキリストの秘蹟を称え、聖体に対する信者の真心を呼び覚ますための祭り(聖体祭)に歌われるモテットである。(モテットというのは中世に発生し、ルネサンス時代にはミサ通常文以外の宗教曲全体を指すものになった)
モテット「アヴェ・ヴェルム・コルプス」は混声四部と弦楽・オルガンのための46小節の小さな曲であるが、絶妙な転調による静謐で天上的な美しさと輝きを持ったモーツアルト晩年の傑作とされる。詩はカトリック教会の根幹たる「聖体の秘儀」への深い祈りを詠んだものである。
Ave verum corpus natum おとめマリアよりお生まれになった
de Maria Virgine まことの聖体よ
Vere passum immolatum まことにあなたは人類のために
in cruce pro homine 十字架で苦難を受け、生贄となられました
Cujus latus perforatum あなたの脇腹は刺し抜かれ
unda fluxit et sanguine 水と血が流れ出ました
Esto nobis praegustatum 死を迎える試練の前にどうか
in mortis examine 聖体を私達に味合わせて下さい。
(各行の文末が一行おきに 「tum」 そして 「ne」 と韻を踏んでいることに注意)
モーツァルト「レクイエム」について
モーツアルトの絶筆となった作品です。モーツァルトの亡くなった1791年12月5日の前日までこの曲の作曲はなされていましたが、結局は彼の死によって未完のまま終ってしまいました。
しかしこの未完の作品は後に、モーツァルトの弟子のジュスマイアが補作し完成させました。
ジュスマイアが補作した時に使った素材は、モーツァルトが残したメモや下書き、生前の彼の口述指示、既作からの引用でしたので、補作とはいえモーツアルトの意図と作風をほぼ正しく伝えていることから、モーツァルトを代表する作品の一つと云われています。
【曲目解説】
第1曲 入祭唱(Introitus)
荘重な序奏に始まり、合唱が厳かに「主よ、永遠の安息を彼らに与えたまえ」と歌い始める。「そして絶えることのない光が彼らを照らしますように」と続く。冒頭の言葉「レクイエム(安息)」から「死者のためのミサ曲」は「レクイエム」と称される。
第2曲 あわれみの賛歌(Kyrie)
前曲から続けて演奏される。バス・パートが「キリエ エレイソン(主よ、憐れみ給え)」と歌い始める。「主よ、憐れみたまえ。キリストよ、憐れみたまえ」と罪人が神に憐れみを乞う楽章。
第3曲 続唱(Sequenz)
一篇の長い詩(怒りの日)を六部に分けて作曲している。
1.怒りの日(Dies irae)
非常にドラマティックな曲。「怒りの日、その日は世界が灰燼に帰する日だ」と圧倒的な激しさで、裁かれる死者の恐れを緊迫感もって歌われる。
2.奇しきラッパ(Tuba mirum)
バスの独唱が「奇しきラッパが全ての死者を墓から王座の前に集め」と歌い始め、最後の審判の時をテノール独唱が告げ、順次アルト、ソプラノの独唱が加わり、最後は「(裁きの時は)誰もが心安らかではありえない」と四重唱で終る。
3.みいつの大王(Rex tremendae)
最後の審判に対する懇願の叫び、合唱が三度「レックス(大王よ)」と叫んだ後に「慈悲の泉よ、私をお救いください」と熱烈な祈りに変っていく。
4.思いだしたまえ(Recordare)
「裁きの日に私を滅ぼし給うことなかれ」と4人の独唱者が歌う。「神よ、私が永遠の炎に焼かれないように、優しく寛大にしてください」と。
5.呪われた者(Confutatis)
弦楽器の激しい伴奏を伴う男声合唱と、ヴァイオリンだけで伴奏される女声合唱の鮮やかなコントラストの楽章。「呪われた者たちが激しい炎に飲み込まれるとき」と男声は呪われた者の苦しみを激しく表し、女声は「灰のような砕かれた心で、ひれ伏して助けを懇願します」と清らかな救いを求める。最後には全合唱が一つになってたおやかに祈る。
6.涙の日(Lacrimosa)
「涙の日、罪ある者が裁きを受けるために、灰の中からよみがえる日です」とよみがえりと赦しを乞う楽章。この楽章の途中まで書いてモーツァルトは亡くなった。
第4曲 奉献唱(Offertorium)
二部に分かれる
1.主イエス・キリスト(Domine Jesu)
「全ての死者の魂を、地獄の罰と深淵からお救いください。彼らが冥府に飲み込まれないように獅子の口からお救いください」と地獄の深淵を象徴すると、後半は壮大なフーガによって締めくくられる。中盤の頂点を形成する楽章。
2.祈り捧げ称えよ(Hostias)
「賛美の生け贄と祈りを捧げます」。前半は主キリストへの賛歌が和音中心に歌われ、後半は前曲のフーガの力強い再現によって生贄の祈りの楽章を閉じる。
第5曲 聖なるかな(Sanctus)
神を賛美し感謝する楽章。「聖なるかな、聖なるかな、聖なるかな。天と地はあなたの栄光に満ちています」と。
第6曲 祝福されますように(Benedictus)
この楽章も神への賛美の楽章。「主の御名において来る者は祝福されますように。いと高きところにホザンナ」と。前半はソロによる四重唱そして合唱によるフーガで終る。
第7曲 神の小羊(Agnus Dei)
神の小羊であるキリストに永遠の安息を祈る楽章。「この世の罪を取り除く神の小羊よ」と歌われる荘厳なひびきと、「彼らに安息をお与えください」と歌われる敬虔な美しさの対比が印象的な楽章。
第8曲 聖体拝領唱(Communio)
聖体となったパンとぶどう酒を拝領するときに歌われる。「主よ、彼らを永遠の光でお照らしください。聖者たちとともに永遠にあなたは慈悲深くあられるのですから」。第一曲の後半と第ニ曲の楽章をそのまま転用しているが、そのことによって曲全体の統一感が強められ、厳かに曲を結び終えている。
(真野 光彦)
ブラームス/ヴァイオリンとピアノのためのソナタ(全曲演奏会)
①第1番 ト長調 Op.78
②第2番 イ長調 Op.100
③スケルツォ ハ短調(「F.A.E.のソナタ」第3楽章)
④第3番 ニ短調 Op.108
⑤ハンガリー舞曲 第3番 ヘ長調(ヨアヒム編曲)
⑥ハンガリー舞曲 第1番 ト短調(ヨアヒム編曲)
*(⑤⑥は、アンコール曲)
ヴァイオリン:和波孝禧
ピアノ:土屋美寧子
(2010年2月20日/宗次ホール<愛知県名古屋市>)
凄まじい厳しさに貫かれた精神美(バッハ的・・・)のブラームスを聴いた。
ご夫妻による息の合った、微笑ましくも愛情たっぷりのアンサンブルでのブラームスを想像して出向いたものが、ものの見事に外されてしまった。
まるで崖っぷちに立たされた者同士の、命懸けでのせめぎ合いを思わせてしまうものであった。
はっきり言って、今回の和波さんのヴァイオリンのアプローチは、"艶やかで美しい"だとか"ロマンティック"だとかの美辞麗句を並べ立てるが如き、"磨かれた美しさ"といった感じは皆無に等しいものであった。
そして、それとは逆に・・・あえて雑音的な濁りなどをものともせず、挑戦的なまでにロマンを排した演奏を展開していたのである(まるで、ヨーゼフ・シゲティの演奏の様な・・・?)。
特に最初の"1番"では、和波さんがほとんど乱暴なまでに弓を擦り付け、不安定な音程まで曝け出していたし、土屋さんも恐ろしいほどの気迫を込めて、遂には、一・二箇所勢い余って音を外してしまったほどであった(正直、一体どうなるのか?と聴く私は戸惑いを感じてしまっていたのだ)。
"2番"に入って、徐々にけんか腰(?)の様相も和らいできたものの、第1楽章での和波さんのボウイングは相変わらずで・・・弓の弦を数本はっきりと(意図的とも思えるぐらいに)摺り切っていたのである。
そしてそれが・・・続く第2楽章では骨太の響きによる朗々としたカンタービレを歌いだしてきたではないか・・・。
そこでの、内面から滲み出る男の深い憂愁に魅了されてしまった。
そしてやっと・・・第3楽章で音楽的な解放が感じられて、思わず目頭が熱くなっていたのである。
それから、特異な位置作品である"F.A.E.のソナタ"の第3楽章は・・・3曲のソナタとは違って、若きブラームスの青春ロマンを、十分に歌い切っていたのだ。
そして最後のプログラム"3番"での、ほの暗さを伴う深い情感に満ちた演奏が、絶品なのであった。
さて、予定されていたプログラムが終わり、ここからは幸せな気分に浸れたアンコールが演奏された。
独特のリズムの溜めと共に、素晴らしいハンガリー舞曲を聴いた。
実に奥深いブラームスを聴かせてもらったものと・・・衝撃的であり、感動的な2時間であった。
本題として、まず最初に言っておきたいのは、音楽の最高の素晴らしさを味わうのには生演奏、つまりコンサート会場まで足を運ぶことが一番であるのだと思っている。本当の感動とは、舞台(演奏者)と客席(聴衆)が、そのお互いの空気感を共有することから生まれてくる(演奏が終わってからの余韻も同様である)。それは、たとえ・・・どんなに高価な再生装置で聴くサウンドよりも、遥かに優るのだと断言したい!
実は最近の研究で、人の気持ちを穏やかにさせる音は20,000ヘルツを超えた超音波(自然に広がる無限の倍音効果)であるということが分かってきた。「いや、そんな高い音は人の耳には聴こえない・・・」というのが定説であったのだが、この超音波が加わっているのとそうでないのとは、音の聴こえが全然違うということも分かってきたのだ。 たとえば、“梢をわたる風の音”、“川のせせらぎ”、更には“包丁とまな板のトントンする音”などにはこの超音波がふんだんに含まれている。
今や一般的になっているCDの歴史は、1981年のソニーとフィリップスの共同開発と、翌82年の民生用プレーヤーの発売から始まった。それまでの主流は(考えてみれば、ご存知でない世代が随分増えましたね)LPレコードであった。そしてそれは、CDのお手軽さに比べて、盤の大きさや取り扱い方(ディスク、プレーヤー、レコード針など)からしても、なんとも大仰で面倒くさいものであった。ただ、そのアナログの醸す温もりのある音質の素晴らしさは抜群であったのだ。生演奏には及ばないにしても、かなりの超音波まで再生出来ていたのである。そのLPにとって代わったCDでは、デジタル技術の横行が結果的に悪い方に向かって行ったと云わざるを得ない。そこには、「少しでもアナログ的な雑音を消し去ろう」との要らぬ努力を費やして、必要不可欠な超音波まで削り取ってしまっていた。
そしてやっと、ここ10年ほどでのCDに於ける音質改善は、驚異的な進歩を遂げてきている。最初は1999年にソニーとフィリップスの共同開発事業としての、SACD(スーパーオーディオCD)という音質重視の素晴らしいディスクが登場してきたのである。ただしこれは、従来のCDとの互換性はなく、専用のプレーヤーが必要なのである(今では、通常のCDプレーヤーでも再生出来るものが増えてはいる)。
それから更に・・・SACDとは別に、通常CDでの最新リマスター音源の飛躍的向上(最新の技術をして、よりオリジナルサウンドに近づけること)が顕著になってきている。それは・・・「音の貧弱な変な演奏」と思っていたものが実は、「こんなにも素晴らしい音での、凄い演奏」だったのだと・・・それこそ、“目からウロコ”状態になってしまうのだ。
癒される音・・・それは、人間の心の潤いをもたらすものだと思うのです。
<学習院OBブラームス合唱団第15回記念定期演奏会>
2009年7月12日(日)/東京オペラシティコンサートホール
(1)ぺルト/スンマ
(2)ブラームス/ドイツ・レクイエム op.45
第1曲「悲しみを負うものは幸いである」
第2曲「人はみな草のごとく」
第3曲「主よ、私に終わりがあることを諭して下さい」
第4曲「あなたの住まいは何と心地よいことでしょう」
第5曲「あなたがたは悲しんでいるけれど」
第6曲「地上には栄え続けることのできる街はない」
第7曲「これからのち、主のもとで死にゆくものは幸いである」
ソプラノ:平井香織
バリトン:高田智宏
合唱:学習院OBブラームス合唱団
管弦楽:東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団
指揮:岩村力
1曲目は、現代エストニアの作曲家/アルヴォ・ぺルトの「スンマ」という曲であった。
元々は、4人のソリストによる重唱曲とのことであり、合唱版もあるらしいのだが(私は、この曲自体を聴いたことがないのだが)、今回は声楽抜きの弦楽合奏版としての演奏であった。
聴いてみて、現代の癒しの音楽を代表する作曲家らしいエレジー風の音楽であった。
東京シティ・フィルの弦楽の響きが良かった。
5〜6分の1曲目の後に、休憩なしで「ドイツ・レクイエム」の演奏が始まった(なかなか考えられたプログラミングだと思った)。
まあ、それにしても「ブラームスの演奏は難しいのだろうなぁ・・・」と、あらためて感じたのだった。
ベートーヴェンとは違い、滔々とした大河の流れ、息の永いフレーズ、その大きなメロディラインを掴みながらもダレさせず、緊迫感を持続させるのは至難の業だと思うのだ(もちろん、ベートーヴェンは別の意味での難しさがある)。
そういえば・・・思い出したのだが、1995年(あの阪神淡路大震災があった年)に、わが合唱団で歌った、同じブラームスの「哀悼の歌」(Op.82)に似ている(まあ、曲の内容からして当然ではある)。
岩村さんの指揮に応えての合唱が素晴らしかった(ドイツ語特有の語尾子音の響きがよく聞こえて気持ち良かった・・・?)
岩村さんの大きな指揮が、それこそ大きなメロディラインを、左腕全体を使っての大きな弧を描くサインが随所に見られたのが印象的であった。その雄弁でありながらも、常に開放的な指揮ぶりに感心したのである。
今年の我々の第九が、本当に楽しみになったのだ。
合唱団は最後まで、岩村さんの指揮に乗せられて、活き活きとした感動的なメッセージを伝えてきた。
東京シティ・フィルも良かった(こちらも第九で共演するのだ )
〜 〜 〜「第九」の推薦盤(1)〜 〜 〜
♪ベートーヴェン/交響曲第9番ニ短調Op.125「合唱付き」
ソプラノ:マリタ・ネイピア
アルト:アンナ・レイノルズ
テノール:ヘルゲ・ブリリオート
バス:カール・リッダーブッシュ
合唱:アンブロジアン・シンガーズ
管弦楽:ニュー・フィルハーモニア管弦楽団
指揮:小澤征爾
(1974年2月録音)
若き小澤のフレッシュ感覚溢れる「第九」の名演である。
この演奏当時、38歳ということになるのだ。
この世に幾多ある「第九」の名盤と比較してみても、
まったく遜色ないと言えるのである。
ソリスト、合唱、オケ、もちろん指揮者・・・
そして、その録音が素晴らしいのだ。
*小澤征爾(1935.9.1〜)
さて、今年も「第九」の合唱練習が始まる。
どんな「第九」が出来上がるのだろう・・・
合唱団としてのまとまりが大切なのだ。
当たり前のことだけれど、それが難しい。
個性溢れる一人一人の集合体なのだから・・・
毎年1月から、第九の練習が始まる7月の間、フロイデ合唱団150名の中から70名ほどの合唱好きが集まって浜松混声合唱団を作って活動しています。
今年も6月28日(日)の25回目の定期演奏会に向けて練習が続いています。その演奏曲目の中に「荒城の月」があります。土井晩翠の詩に瀧廉太郎が作曲した名曲で、どなたもご存知の事と思いますが、歌い手としてはその歌詞をじっくり読んでみることが大切です。
浜混のみんなに知ってもらうために、二番の歌詞の中にある「植うる剣」をテーマにして、団紙に書いた文章ですが一度お読みいただければ幸いです。
参考までに二番の歌詞を写しておきます。
秋陣営の 霜の色
鳴き行く雁の 数見せて
植うるつるぎに 照りそいし
むかしの光 いまいづこ
荒城の月の歌詞の二番に「植うるつるぎに照りそひし」というのが出てくる。ひょんなことからこの「植うる剣」とはどんな剣なのか、また剣を植えるというのは剣をどうすることで、どんな光景なのかが気がかりになって調べてみた。ところがこれが大問題だった。既に何人もの学者、文人、学校の先生、一般の愛読者、その他を巻き込んで、「植うる剣」論争とでも云うべきものが展開されていたのだ。このことに関する論文が出版されていたり、論考が雑誌に発表されていたりしていて、やわな私などが立ち入る問題ではないようだった。
そこでここでは、国語学者の高橋俊男氏のエッセイと高校教師の後藤英明氏の著書「荒城の月の歌詞に関する一考察」だけからこの問題を考えてみた。
先ず「剣を植える」とはどういうことか。その前に、調べてみると「刀」は片刃のもので「剣」は両刃のものだが、ここでは厳密な区別は必要なさそうだから、一般的に刀と言うことで以下進める。さて古来、「刀を植える」という言い方はあったようだ。切っ先を上に向けるか、下にするかの違いはあるが刀を地面に直立させることを云ったようだ。
ここで思い出すのはあの地獄に「針の山」と同じように「剣の山」があるというのだ。抜身が切っ先を上にしてびっしりと立っている恐ろしい山だ。「植うる剣」とはほぼこんな光景なんだろうが、荒城の月の歌詞の中に地獄が出て来るわけはない。
高橋先生は「週刊文春」にエッセイを連載中、読者からの質問に答えて「植うる剣」の光景を「敵の攻囲のなかで城兵たちの白刃が月光にきらめくさま」という趣旨で説明された所、実に多くの解釈と説明が寄せられた。先生はその幾つかを紹介されている。
① 東北地方の城で、城兵が大勢で白刃を天に向かって突き上げる
早朝行事があった。
② 昔の戦いで刀を地面に立てて行う必勝祈願の儀式があった。
③ 戦いで刀が刃こぼれした際、すぐ代わりの刀が使えるように、
予め抜身を地面にさしておいた。(黒澤明の映画「七人の侍」にはこの
場面がある。三船敏郎が敵から奪った刀を土に刺し立てながら「一本の
刀では五人と斬れぬ」という。)
④ 落城した城内のここかしこに、主なき刀が突き刺さっている。
⑤ 戦死した侍の土まんじゅうに墓標代わりに刀が突き立てられている。
⑥ 守備を固めるため、城壁や陣の周囲に逆さまに刀を植えて、
敵の攻撃を阻止した。
・・・・
以下まだ幾つか続くがここで止める。
しかしまだ問題が多い。この光景は昼なのか夜なのか、地面に突き刺した刀は切っ先を上にしているのか切っ先を土に刺しているのか、大勢の侍が一斉に刀を突き上げているがその侍は、荒城を守っている側の侍かまたは城を攻め立てている側の侍か、「秋陣営の」と詠まれているが一般的に陣営というと城を攻める側が城の近くに敷設するものだからやはり攻め手の侍のことだ。
詩からみると「鳴き行く雁の数見せて」というから、数多い雁が飛ぶのが見えるのは、城のなかからでは天主や樹木に邪魔され見にくいので、敷設した陣営から大空をみているのが相応しい。一番二番の歌詞には後の章のように夜半の月と記されていないが、これはやはり夜の月の光が「照りそう」と読むのが普通だろう。
まだまた挙げればきりがないが、兎も角もこの解釈と説明は際限なく続く。考えて見れば作詩者の土井晩翠が、正解はこうだと言っているわけではないのでここでは読み手、歌い手がそれなりの解釈をしなければならない。
最後に高島先生が、「ま、こんなところだろう。こう読むのが一番きれいでいいかな」と言われたのは「敵と対峙している城兵たちが抜き放った剣の列に、月光が美しく照り映えている」という光景だった。
毎年1月から第九の練習が始まる7月の間、フロイデ150名の中から70名ほどの合唱好きが集まって浜松混声合唱団を作って活動しています。今年も6月28日(日)の25回目の定期演奏会に向けて練習が本格化しています。
ここ数年、日本の創作組曲を歌っていますが、今年も新実徳英さんの「幼年連祷」という曲を歌います。この「幼年連祷を歌うこと」という一文は、団員向けに発行されるニュースに掲載したものです。団員のこの曲に対する取り組みの意気込みと心構えの喚起のために書きました。ご一読下さい。
なお例月の「読書推薦」は今回お休みにさせていただきます。
自分でこの曲を推薦しておきながら、いざ選曲会議で「幼年連祷」と決まったときには、歌えるだろうかという心配と戸惑いが交錯しました。
作曲家の新実徳英が「幼年連祷」の第一曲「花」を作曲したのが1977年、組曲とし
て完成したのが1980年、新実が30歳を出た頃でした。名古屋の名門高校から東京大学工学部に進み、卒業後あらためて東京芸大の作曲科に学んで、大学院卒業後に作曲した最も初期の頃の合唱曲で、その後今日まで多くの曲を作っていますが、その中でも既に新実の代表作と評価の高い曲です。
新実の作曲の分野は、交響曲から協奏曲、器楽曲、更には愛知万博を記念して作った歌劇「白鳥」もありますが、一番多く作っているのが合唱曲です。
新実は高校在学中からも校内合唱団は勿論、「東海メールクワイアー」にも席を置き、東京の「コールめぐ」(作曲家大中恩の主宰する合唱団)に入りたい一心で東大へ行ったといわれるほど合唱が好きだったようです。
さてその「幼年連祷」ですが、過去6,7年に浜松混声が歌ってきた日本の合唱組曲
(岩河三郎、高田三郎、佐藤眞、廣瀬量平等の作品)と比べると、その違いが見えてきます。先ず作曲者の世代の違いです。岩河と高田が大正の生まれ、佐藤と廣瀬は1930年代の戦前派に対して新実は1947年の生まれで戦後の人です。
新実が「幼年連祷」を発表した1980年以降、戦後生まれの作曲家による新しい合唱曲が続々と発表されるようになります。木下牧子(1956生)、高嶋みどり(1954)鈴木憲夫(1953)、鈴木輝昭(1958)、荻久保和明(1953)、松下耕(1962)、信長貴富(1971)などの人達による創作曲が最近の合唱演奏会のプログラムを埋めていますし、毎年のようにコンクールの課題曲として取り上げられています。こうした新しい作曲家たちの現出によって、1970年後半から1980年頃を境にして合唱の世界は大きく変わってきたようです。
「幼年連祷」の練習も何回か終って既にお気付きだと思いますが、ここには色んな手が下されていて、それがこの曲を今までに歌った曲とちょっと違うぞこれは難しいという感じを与えています。はっきりしたメロディーラインがあるようでないような不確かな感じ、三連音符や拍子変化が多用されている、不協和音が歌う不安感をもたらす、シンコペーションやリズム変化が多い、取りにくい音の跳躍など、歌っていてもこれでいいのだろうかと不安になってしまいます。
高田の作品にも変拍子や三連音符がありましたし、廣瀬ではクラスター唱法の新しい技法にも挑戦して来ましたが、「幼年連祷」を歌ってみて、今更ながらこれがいわゆる新しい合唱曲だと感じている次第です。
「幼年連祷は決して華やかな演奏効果のある曲ではないが、心の深いところで感動を呼ぶ音楽で、歌ったものも聞いた人々も、一様にこの曲に好感を抱くらしい」と言ったのは、著名な合唱指揮者の福永陽一郎でした。また福永はこうも言っています。「新実の合唱曲はみずからの長い深い合唱経験から、その作曲技法が合唱団員に対する真の共感というものから出発していて、かなり難度の高い部分でも、実際にそれを歌う人間の音楽する歓びを奪うような硬直した技巧優先に走る事はない。」
確かに歌い易い曲ではありませんが、きちんとした練習に裏づけられて歌えたときには、こんな気持ちのいい曲もあまり他に無いのではなかろうかと思います。
「幼年連祷」を難しくしているもう一つのわけは吉原幸子(1932―2002)の詩にあるようです。彼女は幼児の出生にうながされて、自らの出生へさかのぼろうとします。幼児にとって幼年は未来であり、彼女にとって幼年は過去であることから奇妙な混同が行われます。彼女にとって幼年時代の思い出は単なる思い出ではなく、過去から未来へと向かうきらっと光るような「時」の流れなのです。この詩の解釈は今後皆さんと話し合って確かめていきたいと考えています。逐語的な解釈は無理かも知れませんので、詩全体から何を把握するのか、何回も繰り返して詩を読むことをお勧めします。
既に何回かの練習も終わりましたが、6時半からのボイストレーニングにもほとんどの方が出ておられますし、パート練習の出席率も高く、皆さんの意気込みを感じます。決して易しい曲ではありませんが、この曲が歌い切れれば、これからの浜混の曲作りに大きく貢献すること間違いないでしょう。新しい曲にもどんどん挑戦出来ますし、技術的にも大きく進歩するに違いありません。浜混の飛躍を試す大切な一曲です。
そのためにも通常練習は勿論パート練習、日曜練習、合宿には全員参加し練習時の録音、音取りCDなと゛の活用と総合的な練習態度で臨んでいただくようにお願いをします。
五味康祐著「音楽巡礼」(新潮文庫 320円)
五味康祐著「ベートーヴェンと蓄音機」(角川ランティエ叢書 1000円)
著者、五味康祐は剣豪小説「喪神」で芥川賞を受けその後の「柳生武芸帳」を初めとした剣豪小説で知られる作家であるが、一方でクラシック音楽の造詣も深く、また当時レコードがSPからLPへの移行期にあたって相当なオーディオマニアであり、ハード面にも詳しく、出来るだけいい音で音楽を聞きたいと再生装置への凝りようは普通でなかった。
ここに挙げた二冊は1960年から1980年にかけてオーディオ雑誌やその他に発表された音楽に関するエッセーを集めたものであるが、五味康祐の音楽に対する情熱がよく読み取れるものである。
ここに登場する作曲家は今ではめったに聞く機会の無い人もいるし、例えばフランスの作曲家でベートーヴェンより前に生きたラモーや19世紀後半に活躍したベルギーのフランクが論じられたり、演奏家もSP時代に活躍した今ではほとんど歴史上のとでもいう人が登場してくる。しかしそこで語られていることは著者の生身の体験に基づいた、現実的な音楽の受容の姿といっていい。
読んでみてなるほどと思ったり、同感と手を打った内容に少し触れてみよう。
モーツアルトについて
「(モーツアルトの)交響曲一番だが、各二つのオーボエとホルン、弦楽部で編成されている。モーツアルト八歳の作という。これを聞いて、今さらながらモーツアルトが神童であったのを知らされた。誤解のないように言っておくが、わずか八歳でこれだけの交響曲を作ったから、彼を天才というのではない。五歳や六歳で、とんでもないあっ晴れなことをやってのける子供は実はざらにいるものだ。年齢は芸術を判断する基準にはならない。六歳で、大人もおよばぬ作品を作り出した少年が、二十歳をすぎればただの男にすぎぬ例はざらにある。モーツアルトが偉大なのは、後期の作品と同じものを、八歳で作っていたという点にある。これはまさにあり得べからざる驚嘆すべきことである。」
ワグナーについて
「ワグナーの伝記を読んで、私などの圧倒されるのはコジマとの交渉である。五十代で人妻に二児を生ませ、彼女を先夫と離婚させて堂々と結婚式を挙げる。先夫はもともとワグナーの崇拝者だった。自分を崇拝してくれる男の女房を寝取るなど到底われわれの倫理観ではなし得ない。ワグナー楽劇のスケールの巨きさは、分かりきったことだが、そういう生き方のできる男だから作れたのだろう。指揮者フルトヴェングラーの述懐では、ワグナーほど演奏する側に難渋な作品はないそうで、それでいてワグナーにはどこか大衆的なところがある、「最もほこり高い知的なコンサートでも演奏されれば、公園の野外演奏会、軍楽隊でも演奏される」とフルトヴェングラーは言っている。なるほど、そう言われればわれわれのワグナーへの感動――もしくは感動ぶり――には、{大衆的}と呼ばれるに近いものがあったか知れない。ニイチェ式に言えば、これはワグナーの作品が、ギリシャ悲劇の再現に他ならず、ディオニス的劇作家であったせいにもよろう。
モーツアルトのレクイエム
「・・・・・・当座は、いても立ってもおれず辛うじてレコードを聴くことで騒ぎたつものを鎮めていた。私に音楽を聴く習慣がなかったら、事故の直後から現在にかけて、けっして、いまあるような状態にはなれていなかったろう。これだけは確実な、体験者の述懐と申してもそう不遜な言いざまになるまいと思う」
著者は44歳の夏に名古屋で乗用車を運転中、老女とその孫をはね、死亡させるという事故を起こした。この頃の述懐である。
「では何を聴いたか。音楽さえ聴いておれば胸の騒ぎは鎮まるわけのものではない。聴く習慣には、同時に選択のそれが含まれていたはずで、習慣が六百枚にあまるレコードコレクションの中から限られた数枚を、私に抜き取らせたと思う。モーツアルトの「レクイエム」を聴いたのも、名曲、好きな曲であるからに相違はないが、それだけではああは聴けなかったろう。ほんとうに、何度、何十度私は聴いたろう。はじめは涙を流して聴いたが、ということは、茫然と、ただ事故の瞬間の光景や、私の車に飛ばされていった少年研治君の毬のようなあの軽さや、凝視、絶望感、悔い、血、そんなものが脳裏に甦って、かんじんの音楽は、何も聴いていなかったといっていい。
・・・・・・それでも、私は聴いた。またはじめから。モーツアルトのレクイエムが「入祭文」のファゴットと、バセットホルンののびやかな旋律にはじまり、バスから順次ソプラノにおよぶ合唱で「主よ、永遠に安息を与え給え、絶えざる光りをわれわれの上に照らし給え」と唱い出すと、私のうちに或る安らいだ憶いがひろがってくる。私は旋律を聴く。ついで「シオンにて賛歌を主に捧ぐるはふさわし、天主よ」とうたうソブラノの独唱の声を、ここからレクイエムは始まると思って聴き入るが、およそソプラノ独唱で、この出だしほどに敬虔で美しい詠唱を他に私は知らない。三大鎮魂曲のひとつといわれるフォーレのレクイエムの第四曲――イエズスに使者の安息を求願するソプラノソロも美しいが、敬虔さには劣るだろう。またベルリオーズはとうていモーツアルトの美しさにかなわぬのを知っていたから、「ホザンナ」を三部の女声合唱でうたわせた。
・・・・・・何にしても、天主よ、シオンにて賛歌をと願ってくれるのは、私への罪の贖いの声なのである。そうでなくて、どうしてレコードを聴く必要があるだろう。繰りかえし繰りかえし私は聴く。「彼らに安息を与え給え」、本当は合唱はそう歌っている。「我らに与え給え」と私には聴こえる。
ベートーヴェンの第九
「中学時分に聴いたのはワインガルトナーの指揮したSPだった。当時――昭和12年ごろはこれしか第九のレコードを私は知らなかった。ワインガルトナーはそのころ名演といわれた゛田園゛のブルノー・ワルターや゛第五゛のトスカニーニより格は上だと思われたし、曲そのものがいいのだから、同じワインガルトナーの゛英雄゛と゛第九゛を私はコレクション棚の最右翼にいつも置いていた。
・・・・・・・・戦後のLP時代に入って第九でもっとも印象にのこるのはトスカニーニ盤だろうか。はじめてこれを聴いたとき、そのテンポの速いのに驚いた。これはベートーヴェンを冒涜するものだとそれから腹を立てた。
・・・・・・・・それが、幾度か、くりかえして聴くうちに速さが気にならなくなったから馴れるというのはこわいものだ。むしろその第三楽章アダージオなど、他に比肩するもののない名演と今では思っている。「なんと美しいアダージオだ」トスカニーニ自身がプレイバックでこの楽章を聴きながら涙を流した話を、後年、彼の秘書の回顧録で読んだときも、さもありなんと思ったくらいで、いかなフルトヴェングラーの第九――第二次大戦後のバイロイト音楽祭復活に際し、そのオープニングに演奏されたものでさえアダージオはトスカニーニにくらべやや冗長で、緻密な美しさにおとる印象を私はうけた。
・・・・・・例年大晦日に第九を聴きはじめて22年になる。その年その年のさまざまな悔いやら憾みやら苦しみを浄化され、洗われて新年をむかえてきたが、いつも、完璧な演奏でそれを聴きたい願望も20年かさなったわけになる。あと幾年私は生きられるのか。ベートーヴェンも第九ではついに私にそのまったき恩恵をさずけてくれずに私は死んでゆくのか。それともみな名演なのか。」
バッハ「マタイ受難曲」とヘンデル「メサイア」
「マタイを聴いて、私がもっとも驚き且つ感動するのは囚人バラバにかわってイエスを十字架にかけよ、と叫ぶ群衆の凄まじい迫力を描いたあたりである。不吉な減七和音で「バラバ!」と叫ぶ群衆の劇的迫力は言語に絶するものがある。のみに限らない、全曲を通じて、およそ神の子イエスを罵り、彼は死に当たるものだと叫び(42曲)、イエスの流す血の責任はわれわれとわれわれの子孫の上にかかってもいいと言い(59曲)、更にはユダヤの王ばんざいと嘲笑する(62曲)愚かでこう言っていいならまことに涜神的な群集を、驚くべき迫真力でバッハは描破している。こんなことが、だが許されていいのかと日本人の私は怪しむのである。もちろん、バッハは゛マタイ伝゛26章27章をテキストとしてこの受難曲を書いた。イエスをののしる群衆の有様は聖書に記されているのだから、そのまま活写してふしぎはないようなものの、申すなら、そこは神に仕える者には目を蔽いたい涜神のくだりである。凄まじい迫力でそれを作曲できると言うのは、つまりバッハの中に神を冒涜する群集が棲んでいるからではないのか?
・・・・・時代錯誤的なようだが帝を罵る文章に作曲する者がいたら、いかにまっとうな典拠によるものであれ、戦前、日本国内では生きられなかったろうと思う。熱心なプロテスタントであったはずのバッハに涜神の群集がすんでいたことにこそわたしは救われる。最後のイエスが死ぬ72曲では゛あがない人゛イエスのわれわれの罪を背負って磔にされた悲愴な姿が現出され私などはその姿を仰いで滂沱と涙に暮れる。
メサイアはマタイと並ぶ大傑作で、バッハの夥しい作品で一曲を採るとすれば「マタイ受難曲」であるように、ヘンデルの音楽は「メサイア」にきわまるだろう。
「マタイ」を硬質で透明なクリスタル・ガラスの名器とすれば、「メサイア」は土の温もりを失わぬ陶器、それも大ぶりな壺だろうか。透明度は明晰性に、硬度は作者の倫理性に根差すのなら「マタイ」が上位に位置するのは言うまでもないことだ。しかし土の温もりも私には捨て難いし、どちらかといえば、気軽に、身構えずに聴く気になるのは「メサイア」の方である。しかもレコードに針をおろせば、宗教的にもじつに感動的で緊迫したキリストの受難と贖罪の生涯を劇的なコーラスでそこに聴くことができる。重ねて言う、素晴らしい音楽である。私が中学校程度の音楽教師なら授業時間のすべてをこの「メサイア」第二部にある幾つかの合唱曲を生徒に歌わせ続けるだろう。退職するまでそうして、私は、音楽教師たる天職をまっとうしたと思うだろう。」
このほかにもベートーヴェンやモーツアルトの長文の論考があるがどれをとっても優れた評論と考証がなされている。文学者、社会系学者にもクラシック音楽に取り付かれて音楽評論を書く人が多いが、この著者などはその代表であろう。
この著者より少し前の時代には、銭形平次捕物控を書いた野村胡堂が(あらえびす)の筆名で音楽評論やレコード評を盛んに発表していた。あらえびすはまた昭和初期の洋楽レコードの収集家としても有名であった。
五味康祐とほぼ同年の政治学者の丸山真男はフルトヴェングラーの研究で知られているし、有名なのは評論家小林秀雄が「モーツアルト」を著している。
また初めにも紹介したよう五味康祐はにオーディオマニアとしてもその方面でも有名であったことから、この本も機器の話が多く、往時の名器といわれるスピーカー、アンプ、チューナー、カートリッジなどのブランドの名前が頻出する。この面に興味のある人にとっては興味尽きない本であろう。
なお紹介した二冊は既に出版社で絶版となっていて、図書館で借りて読むしか方法がないこと付記します。
