1981年から毎年「第九」を歌い続ける、浜松を中心に活動する市民合唱団です。

第11回 ベートーヴェンが愛した女性達と手紙

音楽家としては疑いもなく最高峰の人であるが、一方、ひとりの人間として「ベートーヴェン」を見てみると、とても興味深いものがある。彼は、頭が大きく色黒で、鼻も低く背の低い男で決してハンサムとは言いがたく、おまけに癇癪持ちで変人だったそうで、情熱的、革新的な音楽家としての名声とは裏腹の姿も見える。そんなベートーヴェンの恋愛について書いてみたい。

1784年~1788年 14歳~18歳 【初恋】
最初に恋をしたのは、ピアノのレッスンをしていたドイツ、ボンの名門貴族ブロイニング家の長女エレオノールだと言われている。一つ年下の彼女にその思いは受け止められず、エレオノールは医師と結婚するが、思いは断ち切れず、5年後にウイーンに出てからも彼女に変奏曲とソナタの2曲の作品をプレゼントしている。

1799年~1806年 29歳~35歳 【13通の恋文の相手】
ヨゼフィーネ1790年代後半になるとベートーヴェンのピアニストとしての名声は不動のものとなり、弟子入りを希望する貴族子弟が後を絶たなくなるほどになっていた。ウイーンに出てきたハンガリーの名門貴族ブルンスヴィク家のテレーゼとヨゼフィーネ姉妹にピアノを教えていたが、心を惹かれてしまいいくつかの曲を「音楽の捧げものを演奏して・・・真に敬愛する私を忘れないで」の手紙付きで贈っている。5年後にも6曲の変奏曲を献呈しているほど思いがあったようだ。とくに、ベートーヴェンが思いを寄せた妹のヨゼフィーネは、27歳年上のダイム伯爵と結婚してしまった。ところが、伯爵はわずか4年足らずで他界し未亡人になってしまったのだが、なんとベートーヴェンはすかさずヨゼフィーネに宛てて情熱的な恋文を贈っていた。恋文が1957年に13通発見され、大きな話題になった。この恋もヨゼフィーネからの返事は「・・・私の愛の最大の証は最も純粋な心から・・・、私の尊敬をお受けください」「尊敬という愛をあなたは受け入られるでしょうか?」と、恋愛ではないと柔らかく断られているのである。

1801年~1802年 32歳~33歳 【月光ソナタ】
上述の従妹にあたる、グイッチヤルディ伯爵令嬢17歳のジュリエッタが弟子入りすると、すぐに彼女が好きになり、親友に「ひとりの愛すべき、夢のように魅力的な少女が、私の内蔵と難聴の悩みを一変させてくれた・・・・結婚が私に幸福をもたらしてくれるかも知れない、と初めて感じている」と述べている。この恋も、身分の違いからあきらめていたが、実ることはなかった。1802年に「二つの幻想風ソナタ」と「月光ソナタ」をこのジュリエッタに捧げている。

1810年~1811年 40歳~41歳 【エリーゼの為に】
40歳になったベートーヴェンは、親友の紹介で28歳のテレーゼ・マルファティと出会い、夢中になってしまった。しかしわずか1年足らずで交際拒否の連絡をもらい、失意のどん底に落とされてしまった。この恋が始まったころ「エリーゼの為に」を作曲しており、これがテレーゼの為に作ったといわれているが、ベートーヴェンは字が汚かったので、テレーゼと書いたのをエリーゼと間違えて認識されたといわれている。自筆譜が消息不明で、真偽の確認ができていないそうである。別人の説もある。

アントーニェ1812年 42歳 【不滅の恋人への手紙】
テレーザと別れてすぐ、ゲーテを通じて知りあった人妻のアントーニエ・ブレンターノに恋し、「不滅の恋人への手紙」と言われる3通の「私の天使、私のすべて・・・永遠に」という熱烈な手紙が出されたといわれている。不倫の相手でもあり、受取人の名前は伏されているため、いまだ憶測の中にある。

 

永遠の恋人への手紙

永遠の恋人への手紙

ベートーヴェンの恋愛の系譜を辿ってみると、ほとんどがベートーヴェンからの熱烈なアプローチから始まった、片思いである。音楽家としての魅力や尊敬は十分であったが、貴族でなかった事や男性としての魅力が足りなかったのか、結婚までに届かなかったようである。
30歳過ぎから難聴や内蔵の痛みなどに苦しみ、実母、兄弟、子供、甥などの面倒を見ながら数々の名曲を生み出した稀代の大音楽家の、哀しみと女性に対するひたむきな心が忍ばれる。

(学習係 齋藤正芳)

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