第5回 歓喜・女神・エリューズィウム

歓びよ、美しい神々の火花よ、楽園エリューズィウムの娘よ・・・

ここで「歓びよ」と呼びかけられているのは抽象的な概念ではなく、イメージされているのは「女神」としての歓びだと言える。歓びと言う抽象概念が神格化されるのは欧米の文化がバックグラウンドとなっている為である。「自由」「勝利」などのワードは女性名詞で、英語では名詞の性は目立たなくなっているが、liberty や victory の語源のラテン語では女性名詞 libertas victoria であり、ドイツ語も同様である。

「楽園」と訳されているエリューズィウムだが、シラーにとっての楽園のイメージは二つあると言われている。もう一つは「アルカディア」、これは歴史以前の楽園で、エリューズィウムは歴史の展開の最後に位置すると考えられる。アルカディアとは王侯と乞食といった区別がまだ存在しない状態をさす。人間は、意識を持ったことでアルカディアを出て、時間の中に生きるようになる。古代ローマの詩人の言葉で言えば、幸福な「黄金時代」に別れを告げる。そして、人間は意識を持つことで、自分(主観)と他(客観)が別れ、さまざまな分裂に苦しむ存在となる。これはシラーにとって、近代の典型的な徴候であった。しかし、その分裂を再び統合するもの、それが「歓び」として称えられる。歓びの力が「世の習いの剣が分け隔てたものを再び結びあわせる」。「再び(wieder)」という言葉が、かつての幸福な状態を暗示している。そして再統合された至福の状態こそが「エリューズィウム」ということになる。

(参考資料:「歓喜に寄せての物語」現代書館・静岡文化芸大所蔵)