1981年から毎年「第九」を歌い続ける、浜松を中心に活動する市民合唱団です。

第15回 「第九交響曲」の構成

苦悩の限りに苛まれたベートーヴェン人生の集大成であり、全人類に向けた異形の大交響曲・・・

聴覚を完全に失い、一度は絶望に打ちひしがれた者が自らの残された全魂を奮い立たせ、終楽章では30有余年自ら思い描いてきたシラーの詩を大合唱で歌うという途方もない仕業まで盛り込み…地上の人間、夜空に輝く満点の星々や閃光、そのまた先に存在するに違いない父なる神を求めての大宇宙を表現し、全世界全人類への尊厳と普遍的な友愛を描こうとしたのです。

彼の心に存在する宇宙…それは聴覚を失ってしまったという作曲家として最悪な逆境人生に苦しみながらも生み出された心震わせる不可思議な響きがあるのだとも思うのです。

<第一楽章>

曲の冒頭は遠い彼方から神秘的でありながらも得体のしれない霧が顔を出したかと思うとすぐにこちらに巨大な姿で迫り、そしてそのまま暴力的な下降音型で執拗に叩きつけてくる。

この楽章の前半ではほとんどこうした闘争的な音型が支配しています。

後半では一転して牧歌的な楽し気な様相も出てきますが、楽章最後ではまた厳めしさが戻って締められるのです。

<第二楽章>

この楽章のおどけたスケルツォのリズムを聴くと、心と体が自然と浮き立って、踊り出したくなる感覚を覚えるのです。

そして要所要所で叩かれるリズミカルで変則的な連打のティンパニーは、思わず聴いているこちらも一緒に音まねをしたくなるほど・・・

この浮き立つ様な楽想は楽章の前後に置かれ…

その挟まれた中間部分はとても優雅な調べであり、ホルンの響きがとても印象的なのです。

<第三楽章>

この音楽はまさに天国的で、夢見心地の幸福感に満ち満ちています。

中空で優しく響くメロディーの絶妙な重なりが、見事な変奏曲となって進みます。

ただ、その幸福感も一歩踏み外すと現実逃避の麻薬にもなりかねない。

そこは実は、ベートーヴェン自身の懸念の思いでもあったのです。

楽章の2/3ほどが経過した辺りで突然に警告的な響きでトランペットが鳴り渡るのです。

「目を覚ましなさい!」、「惰眠を貪り続けるのではない!」と。

その後は、また静かに戻って・・・真の歓喜への模索(終楽章)へと向かって行きます。

<第四楽章>

天国的とも思えた前の楽章を受けてではあるが、

唐突な「恐怖のファンファーレ」で開始・・・

緊張や恐怖の感情を煽る・・・

次に、前の3つの各楽章断片を回想しては否定して行きます。

その後に・・・

ふと何気なく単純な音を羅列(鍵盤を上下してみただけ)して、突然に「これだ!」と思い立ったのです。

その単純明快な中に「喜び」の核がありました。

そこから・・・

あまりにも単純な音階のカケラを基にして徐々に色彩感を増しながら変奏を繰り返し、

一度頂点が築かれます。

でもまた唐突に・・・

ベートーヴェンはこの楽章冒頭に戻ったのだとも思える「恐怖のファンファーレ」を示します。

その後、遂に人間の声が登場。

「おお友よ、これらのような音ではなく、もっと喜びに満ちた調べに声を合わせようではないか!」と、バリトンが語り掛けるのです。

そこから後は皆が知っている(練習してきた)全人類に向けた魂のメッセージへ、そしてクライマックスを築くのです。

 

あらためて思うのですが・・・

今年は【アクトシティ浜松開館25周年】であると同時に、

【ベルリンの壁崩壊30周年】という節目のメモリアル。

やはり、この2019年の「第九」が、

今年でしか成し得ない一期一会のモニュメントでもあるのだと痛感するのです!

 

“FREUDE” “FREIHEIT” “PEACE”

(文責:B-3 深沢啓二)

 

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