第6回 メンゲルベルク

00_メンゲルベルグS【指揮者】ウィレム・メンゲルベルク
【管弦楽】アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団
【ソプラノ】トー・ファン・デル・スルイス
【メゾソプラノ】スーゼ・ルーヘル
【テノール】ルイ・ファン・トゥルダー
【バリトン】ウィレム・ラヴェッリ
【合唱】アムステルダム・トーンクンスト合唱団
aaaaaaaオランダ王立オラトリオ協会合唱団
【録音年月】1940年5月
【録音状態】下
【レーベル】フィリップ
【コメント】
メンゲルベルクは、第二次世界大戦前にヨーロッパで活躍したオランダ人の大指揮者。
このCDは1940年5月にアムステルダムで開かれた演奏会のライブ盤であるが、実はこの演奏の8日後にナチスドイツによるオランダ電撃侵攻作戦が開始された。ナチスはオランダ占領後、メンゲルベルクを高く評価したために、彼は戦後戦犯容疑で不遇の晩年を送ることになる。

それはさておき、この演奏は実に個性的である。なるほど「ロマン派的演奏」というのはこういうものか、というのを感じさせてくれる。そういう意味では、先に紹介したワインガルトナーはこの演奏より5年前であるが、まだ今日の演奏に近いものがあるように思われる。
録音状態は、もちろん戦前のしかもライブ盤であるから決してよいとは言えないが、意外にも第4楽章のソリスト4人の歌声の分離などは非常によく、バリトンも鮮明に聞こえる。また、楽章間の会場の環境音も長めに残されていて、雰囲気がよく伝わるのもうれしい。
テンポの設定は、実に自由というべきか、メトロノーム記号の半分の遅さもいとわない。それは、最近原典楽譜を研究して言われ出したテンポの見直しなどとは次元を異にした、完全にメンゲルベルク個人の美的感覚から生まれたものである。ルバート、すなわち小節の中でひとつひとつの音符の長さを微妙に調整する奏法も随所に見られる。いわゆる日本の演歌における「こぶし」に通じるような「メンゲルベルク節」である。また、ゆっくりした箇所で弦楽器がひとつの音から他の音に移るときに音をずり上げる(下げる)ポルタメント奏法も多用されている。一般的には「甘美な雰囲気」を醸し出すものだが、やり過ぎると食傷気味である。
また、フェルマータは気が遠くなるほど長く、曲想の変わり目のポーズも次はいつ始まるのか、と思うほどである。
合唱パートに関しても、表情の付け方が今日的な常識ではちょっと笑ってしまうようなところがある。「Kuß」や「muß」と言った歌詞を強調することは今日でもよく行われるが、メンゲルベルクのそれは程度が飛び抜けている。
そして問題の終曲である。
この演奏を語るときに常に話題になる有名な問題が、第4楽章の最後のリタルダントについてである。最終小節の2小節前で急ブレーキがかかり、1小節前はウソのような遅さで四分音符4つを奏して終わる、というものだ。あまりのリタルダントに思わずフライイングしそうになる奏者もいるし、木管楽器で奏でられているはずの4つの四分音符は音と音の間隔が空きすぎて、響きとして聞こえてこない。
曲の最後にリタルダントして思いを込める、というのは自然な感情表現ともいえるが、メンゲルベルクのこの部分は(いや、他の部分も同じだろうが)感情の高まりによるものというより、計算され尽くした恣意的なものとしか聞こえない。ここまでやられるとどうも「あざとさ」すら垣間見える。
音が鳴り終わった瞬間、拍手と「ブラボー!」の声より前に客席からわずかに笑い声が聞こえるように思うのは気のせいだろうか? 当時の聴衆もさすがにこのエンディングには失笑を禁じ得なかったのではないか、と思われる。
いろいろな意味で「歴史的」な演奏であることに間違いはなく、「第九演奏史」を語る上で避けては通れないCDなので、ぜひ一聴をお勧めしたい。

次回はご存じ「帝王」カラヤン、それも、数あるカラヤンの第九の中でも「最高の演奏」との呼び声の高い1962年の録音をご紹介しよう。

(ドクトルじんじん)