第2回 ラトル

00_ラトルS【指揮者】サイモン・ラトル
【管弦楽】ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
【ソプラノ】バーバラ・ボニー
【メゾソプラノ】ビルギット・レンメルト
【テノール】カート・ストレイト
【バリトン】トーマス・ハンプソン
【合唱】バーミンガム市交響合唱団
【録音年月】2002年4月~5月
【録音状態】優
【レーベル】ワーナーミュージック

【コメント】
サイモン・ラトルはイギリス出身の世界的指揮者。2002年9月にベルリン・フィルハーモニーの首席指揮者兼芸術監督に就任し、現在に至る。
この演奏は、ラトルがベルリン・フィル首席指揮者に就任する直前にウィーン・フィルとの共演で録音したものだが、特筆すべきはその合唱団。「バーミンガム市交響合唱団」という名前だが、実はアマチュア合唱団である。ラトルはベルリン・フィルと契約する前まで、すなわちこのCDが録音されたころは、20年以上にわたってイギリス中部にある「バーミンガム市交響楽団」首席指揮者だった。ラトルは初めてウィーン・フィルと第九を録音するにあたって、共演者として自分のホームグラウンドのアマチュア合唱団を指名し、わざわざウィーンまで呼び寄せたのだった。そのキャスティングを聞いたときに誇り高いウィーン・フィルのメンバーがいぶかしく思ったことは想像に難くないが、その出来栄えを聴くと誰もが納得するに違いない。当時ラトルがここまでの要求をできるのはこの合唱団だけだっただろうし、それをここまで素直に形にして表わすことができたのもまたこの合唱団しかなかっただろう。
ラトルはこの録音に際して、ほぼ忠実にベーレンライター版楽譜で示された指示に従っている。たとえば第一楽章81小節目の2拍目のアウフタクト、フルートとオーボエの音は聴きなれた音(B♭)から2音も高いD音である。旧版に慣れた耳で聴くと「演奏者が間違ったのか?」と思うぐらい奇妙な感じがするが、これで正解である。
ところで、ベーレンライター版を使用した演奏というと、イメージとしては「あっさり系」のような気がするが(わたしの偏見かもしれないが)、このラトル盤はそんなことはない。遅めのテンポを採用したり表情たっぷりに歌わせたりするところはフルトヴェングラーの時代、いわゆる「大向うをうならせる」ような演奏と相通じるものがある。それでいて、やはり現代風のスマートさをも兼ね備えている。
面白いのは第四楽章のバリトンソロのレチタチーヴォの最後の部分。Und freuden vollere のfreuden という語を2回歌わせて、かつそこにアドリブの旋律を入れている。これは、今日CDや演奏会で第九の演奏を聴いているだけではほとんど意識されないが、もともとベートーヴェンの楽譜のこの部分には「ad libtum」(自由に・アドリブで)との指示がある。この稿でいずれ紹介しようと考えているメンゲルベルク指揮の演奏(1940年録音)でfreuden を2回歌わせるのは聴いたことがある。またアドリブは、ジンマン指揮の演奏(1998年録音)で聴くことできるが、いずれにしても非常に珍しい例だと思う。現代の演奏家は、古典作品を演奏するにあたって作曲者の意図が明確に把握できないアドリブのようなものについては、記録に残すことを避ける傾向があるように思うが、ラトルのこの演奏は勇気ある試みとして評価できるだろう。それにしても、このアドリブはただ珍しいだけでなく音楽表現としてじゅうぶん成立している。
そして合唱団である。
練習番号Dの「streng geteilt」を強調すること、練習番号Eの「weinend」に気持ちを込めること、「Brüder」の言葉を大事にすること、880小節から何度も繰り返される「Weld !」を強調すること・・・・などなど。第九を歌ったことがある人なら誰しもが一度や二度は注意を受けたであろうこれらの事柄が、この演奏の中ではみごとに実践されている。録音がよいことも手伝って、これらのことが実に明瞭に伝わってくる。
表現があまりにも直接的過ぎるため、人によってはデフォルメされているように感じるかも知れない。しかし、やろうとしている内容は必然的で説得力のあることばかりで、わざとらしい小細工ではない。
「合唱パートを楽しみたい」という人には間違いなくお勧めできる第九CDである。

次回は、また時代をさかのぼって1935年録音のワインガルトナー盤を紹介しよう。

(ドクトルじんじん)