今日から約半年間にわたって、毎週1回のペースで「第九CD聴き比べ」を連載します。
執筆は「第九博士」のドクトルじんじんさんです。

第1回 フルトヴェングラー

00_フルトヴェングラー(3)S【指揮者】ヴィルヘルム・フルトヴェングラー
【管弦楽】バイロイト祝祭歌劇場管弦楽団
【ソプラノ】エリーザベト・シュヴァルツコップ
【メゾソプラノ】エリーザベト・ヘンゲン
【テノール】ハンス・ホップ
【バリトン】オットー・エーデルマン
【合唱】バイロイト祝祭歌劇場合唱団
【録音年月】1951年7月
【録音状態】中の下
【レーベル】EMIミュージック
【コメント】
いわゆる「バイロイトの第九」の愛称で知られる、第九CDの決定盤的存在。20世紀を代表する偉大な指揮者のひとり、ヴィルヘルム・フルトヴェングラーが残した数ある録音の中でも、不朽の名演と評される。
もちろん演奏がすばらしいことは言を俟たないが、この演奏は第二次大戦後6年を経過してようやく復活された初めてのバイロイト音楽祭でのライブ録音であり、しかも戦時中はナチスへの協力者とみなされていたフルトヴェングラーがその誤解を解くべく全身全霊を傾けた渾身の演奏、というサイドストーリーがあるため、感動もまたひとしお、ということだろう。
ところが、近年になりその感動を若干薄めるような事態が判明した。永年「ライブ録音」と信じられてきたこの演奏が実はバイロイト音楽祭直前のリハーサルでスタジオ録音されたものであり、拍手などは編集作業の中であとから入れたものであることがわかったのだ。それは、本当のライブの模様を録音したテープが今世紀になって発見され、その演奏内容が明らかにこれまで「バイロイトの第九」と言われてきたものと違うことから世に広く知られることとなった。今日ではこの新発見のほうの音源も「もうひとつのバイロイトの第九」などというキャッチフレーズとともにCD化されている。しかし、そんなことでこのCDに収められている第九の価値が変わるわけではもちろんない。
1951年の録音、ということで録音状態の悪さは否めない。同じ「バイロイトの第九」を取り扱ったCDが何種類も発売されている中で、わたしが愛聴しているのは比較的雑音が取り除かれた、きれいな音が聞こえる盤と言われているものだが、それでも、とくに合唱はマイクセッティングの関係もあるのか、歌詞を明瞭に聴き取ることすらできない。
第一楽章の出だしから、独特の霧の中を行くような雰囲気を醸し出すことができるのは、この指揮者ならではだろう。全曲を通じて総じてきわめてゆっくりとしたテンポを採用し、ことに第三楽章などは「これ以上遅くしたら音楽が崩壊するのではないか」と思われるほどの超スローテンポの中で、木管楽器が美しい音色で天上の音楽を奏でる。その中にあって微妙なテンポの揺らしが、音楽の陰影や気分の高揚感を表現していて、まさに名人芸と呼ぶにふさわしい音楽創りが展開される。
第四楽章の合唱の「vor Gott !」は、フェルマータがいつまで続くのか、と心配になるほどの長さで咆哮する。この部分で合唱がクレシェンドしていることに、以前はずいぶん驚かされたものだが、上記のように観客の拍手まであと乗せしていることがわかってしまったので、このクレシェンドももしかしたら後日編集で加えたのでは?と余計なことを考えさせられる。そのフェルマータが終わって、Alla marciaに入る前のタメも凄い。
この演奏でよく語られるのは、第四楽章の最後、Prestissimoのすさまじいまでのスピードと、それについていけず徐々に崩壊を来たすオーケストラのアンサンブルについてだ。確かに冷静に考えると、この部分はこの録音の「キズ」であることに間違いはない。しかし、このときのフルトヴェングラーはオーケストラの機動性の限界を考慮して統制するよりも、自らの霊感に突き動かされて音楽を創造することにのみ没頭しているように聴き取れる。この「キズ」がそのまま、神がかったフルトヴェングラーを表すことになったのも、皮肉と言えば皮肉な話だ。
筆者も含めて、この「バイロイトの第九」を永年の間「第九演奏のデファクト・スタンダード」として受け入れてきた者は世界中に多いだろう。それはそれですばらしいことだと思うが、近年とみに注目されている「ベートーヴェンの原典に忠実であること」を目指した第九演奏などと比べると、フルトヴェングラーの音楽は、時代の要請とはいえあまりにも思い入れたっぷりで、今の時代に聴きなおしてみると「感情過多」と思われるような部分も少なくない。
せっかく世の中にはあまたの第九CDが存在するのだから、盲目的にフルトヴェングラーの(あるいは他の誰かの)演奏だけを絶対視するのではなく、さまざまな演奏を柔軟に受け入れ、楽しみながら新しい自分好みの一枚を探すのもまた一興、というものだろう。小稿がそんな楽しみの一助になれば幸いである。

次回は時代がぐっと下がって、現在ベルリン・フィルハーモニーの首席指揮者兼芸術監督を務めるサイモン・ラトルが、2002年にイギリスのアマチュア合唱団、バーミンガム市交響合唱団を起用してウィーン・フィルと共演した珠玉の一枚を紹介しよう。

(ドクトルじんじん)